かいがのしょうり

芸大生による随筆か批評かよくわからない短編文集。Short essays by an art student.

ピエール・スーラージュ《作品》


すごくかっこいい。とにかくかっこいい。なにがかっこいいのかを説明するのは難しいけれど、自分だったらこの構成をつくるのは非常に大変だと思う。スーラージュは床にキャンバスを置いて制作した。絵具を大量に用意して、大きなハケかペインティングナイフで描く。動画で制作過程を見たことがあるが、それが本当かはわからない。いずれにせよ床に置いて画面に絵具を大胆に塗り、それを美術館の壁に垂直に立てたとき、とても洗練されて見えたということだ。スーラージュは黒を用いる理由を聞かれたとき、黒はすべての色が含まれるからだといったそうだ。ほかにも椅子の影から構図の発想を得たとも聞いたことがある。画面上に記号に近い形を認識すると、絵具や色といった素材は目に入らなくなると先生が話していたこともあった。なにが絵を絵にしているのかについて、決定打となるような客観的な証拠はない。絵に関してはまだまだ推測段階のことが多いのである。

 

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ジャン・フォートリエ《人質》

いま大原美術館ではフォートリエの《人質》とジョルジュ・ルオーの《道化師》が隣に並んでいる。この両作品にはいくつか共通点がある。まず、支持体として「カンヴァスに裏打ちされた紙」を用いている点。材料がともに油彩である点。主題が人物の顔であるところ。大きさがだいたい60×60程度であること。そして、机上で制作されたこと。これはフォートリエと同時代のポロックが、巨大な画面を床に置いて制作したのとは対照的である。それから、ともに厚塗りであることもよく聞く。けれども、隣で見比べてみると、ルオーの厚塗りはフォートリエの厚塗りと質が異なると感じた。フォートリエはもちろん油彩も使うが、石膏を水彩やパステルで彩色して用いている。画面では紙の乾燥した質感と石膏の艶が目立つ。一方、ルオーは油彩と、可能性としてはそれに砂を混ぜて使用している。色調も暗い。厚塗りをまるで隠れてしているかのように思える。暗い色調に絵具の量感を工夫して、表現の幅を持たせる方法はよく見られる技法だが、ルオーの絵はまるで砂絵のような素材の質感が認められる。

 

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エル・グレコ《受胎告知》

大原美術館モナリザともいうべきエル・グレコの《受胎告知》は、「絵画的な」筆遣いが認められる作品である。「絵画的(painterly)」はときに厚塗りや筆跡などの効果を示す。ルネサンス期からそれ以降は、絵画が窓や鏡として機能することを重視したため、画家の手跡など人間らしさが見られる表現はなるべく除去された。しかし、テンペラに続いて油彩が登場するにつれて、材料の工夫から表現の幅を広げる画家が現れる。ヴェネツィアティツィアーノも晩年に厚塗りの絵を描いた。今はそれがほぼ厚塗り最初期として認められている。大原美術館エル・グレコの作品は1600年頃作であり、ティツィアーノの晩年作よりも少し後に制作された。聖母マリアのヴェールと天使の手前の衣に、白い絵具のぼそぼそとした筆致が細かく置かれている。事物に落ちる光の輪郭がぼけて見える感じ、あるいは写真が白飛びする印象と似ている。絵画主題や内容を脇に置いて、表面の絵具の表情の変化を追いかけるだけでも十分に楽しめてしまうのである。

【参考】

Jodi Cranston, The Muddied Mirror

ティツィアーノの晩年の絵画について。かなりしっかりとした研究の書籍で、私は先生に一文ずつ確認してもらいつつ読んだものです。

・Jill Poyerd Fine Art, Brushstrokes (Part 1) - The Early Masters

初期の絵画の油彩の技法に注目した動画。非常にわかりやすくて楽しいです。

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Mark Rothko《Untitled(Green on Green)》

The Rothko Room of the Kawamura Memorial DIC Museum of Art is fairly famous. I have been to the museum before, but I returned home without seeing it. I remember that my teacher who had heard that said it was a waste. I thought I would go someday, but I could see a painting by Rothko a few days ago.  Now, many modern works were exhibited in the Ohara Museum of Art. They showed an aspect in the 20th century. It is in the place that the painting was placed. Although the title of this work is 《Untitled (Green on Green) 》, it seemed to be a little bit red background and on deep black color. What I always think about is this deep color. What attracts us to the surface of paintings? It is often said that the traces of his brush strokes were seen in many paintings  of abstract expressionism because they abandoned representation. I, however, felt that the painter minimized painterly techniques in his paintings. Is a choice of colors or rather accidental stains more important than techniques? I think this question in modern art is still unresolved.

マーク・ロスコ《無題(緑の上の緑)》

マーク・ロスコといえばDIC川村記念美術館の「ロスコ・ルーム」が有名である。以前別の用事で川村記念美術館に行ってロスコ・ルームを素通りして帰ってきたら、研究室の先生に「もったいない...」とため息まじりにいわれたことがある。いつかまた行こうと思っていたが、先日予想もしないところで見ることができた。大原美術館の二階の四部屋がいま、現代美術使用になっている。20世紀が全貌できる。そのなかにロスコの作品があった。作品タイトルを見るのを忘れていたので、藤田慎一郎氏の『大原美術館』に掲載されていた作品名を参考にした。「(緑の上の緑)」とあるが、実際はやや赤みのある背景に深い黒色が置かれているように見えた。ところで抽象絵画を見ていつも気になるのは、この深さである。いったいなにが見る人を引きつけるのだろう。とくに戦後のアメリカ...つまり抽象表現主義の絵画には、再現性を放棄したために画家の手跡が際立つことがよく引き合いに出される。そうはいっても実際見ると最低限の手跡に留めているようにも感じる。色彩の選択が重要なのだろうか。色むらが大切なのか。きっとまだ誰も解明できてない絵の謎である。

 

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